佐々木幹郎氏より
第2回倉敷インスピレーションが終った。個人的には、これまで無数に詩の朗読会をやってきたが、今回ほど魂に触れるような、心に残るイベントはなかった。なによりもVOICE SPACEのメンバーと共演できたこと、それが大成功に終ったこと、そのための準備作業の期間が5ヶ月に及んだこと。
そのすべてが初めての試みで、倉敷側との折衝はあらゆる問題を含めて、無限に続くように思えた。総合プロデュースをまかされている身としては、谷川俊太郎、小室等氏らとの共演は第1回で経験済みだし、これまでも他の地域で何度もやってきた。無名の、VOICE SPACEの実験的な公演が成功するかどうか、地元に受け入れられるかどうか、これが最大の勝負だった。
それが無事、想像を越えた好意的な反応で、感動の声が寄せられ、涙を流して聞いてくださった方々もいたことは、ほんとうに大きな励ましになった。アンコールを終えて舞台から降りるとき、大原謙一郎氏がスタンディング・オベーションをしてくださっているのを目にして、ただ、ひたすら感謝する以外になかった。また、打ち上げのとき、大原氏は「10年後に、今回のVOICE SPACE公演のDVDを持っていることを誇りに思うだろう」とおっしゃってくださった。
倉敷インスピレーションは、どこからはじまったのか。2004年春、大原氏から依頼を受け、現地を2日間にわたって案内されたものの、あまりにも美しすぎる町並みを見て、わたしは断ろうと思っていた。わたしがやるまでもない。ここなら、誰でもできる。しかし、最終的に引き受けることを決断した理由は、ただ、ひとつ。半世紀以上も封印されたままだった建物、「無為堂」を見たときだった(「無為堂」は現在も未公開)。
児島虎次郎が装飾をほどこした国籍不明のデザイン感覚の迎賓館、そして大原孫三郎が建てたガラスの箱とも言える東屋(茶室?)、そして虎次郎の和洋折衷様式のアトリエ。なかでも、東屋は明治期から大正期にかけて建てられたシュールな建物で、雑草に囲まれた四面ガラス張りの東屋を見た一瞬、電撃を受けたように、わたしのなかで倉敷インスピレーションがはじまったのだった。わたしは大原氏に、雑草の中でふり返って言った。「負けました。やります」。
今回、もう一度、「無為堂」をVOICE SPACEのメンバーと一緒に訪れることができた。東屋は雨に打たれていた。2年前に来たときよりも、周囲の雑草は刈り取られている。
建築評論家の藤森照信氏は、この建物を東屋ではなく、「煎茶」用の茶室ではないか、と論じている。
http://www.be.asahi.com/be_s/20060521/20060508TBUK0090A.html
ただし、藤森氏に確かめると、「茶室」というのは、あくまでも仮説とのこと。東屋が正しいかもしれないとのことだった。
記念のために、今回訪れた「無為堂」の東屋の写真を掲載しておこう。こいつだよ、この建物だよ、インスピレーションの正体は。いつか、ここで倉敷インスピレーションの本番をやろう、と大原謙一郎氏と約束したのだ。

(文・写真:佐々木幹郎)