さてさて、ただ今VOICE SPACEはもっぱら 倉敷インスピレーションの準備に明け暮れていますが、 来年の公演を計画している中也の方も、忘れちゃいけません! というわけで、「中原中也 生誕100年へ向けて」 コーナーを立ち上げることにしました。 『中原中也―声と音のファンタジー(仮)』企画の進行状況ほか、 中也について思うこと、中也を通じた小さな発見など、 その他もろもろ、中也関連のあれこれを、気ままに更新していくつもりです・・・ (続けられるかちょっと心配)
今日は、最近の小さな探訪について書きます。
とある朝、中央線、横須賀線と乗り継いで、 電車に揺られること1時間・・・

鎌倉に来た!!
鎌倉は大学1年の頃のリトリート (新入生の懇談旅行のようなもの)以来、 4年ぶりの来訪です。
しょっぱなから若宮大路を反対方向に 逆走するというずっこけぶりながら 無事最初の目的地、妙本寺に到着。

ここで中也と小林秀雄が和解したというエピソードがあります。 中也の詩にしばしば漂っている、女を失った自分は 「口惜しい男」に落ちぶれたのだという、喪失と挫折。 中也は、この特別な女、長谷川泰子を 親友であった小林秀雄に奪われてしまいます。 そうした苦い思いから紡ぎ出された悲しみのうたには、しかし どろどろもやもやした心の風景にさっと鋭いきらめきが走るかのような 不思議な魅力を感じます。 ともかくも、中也と小林、泰子との交流はその後も続いて、 何とも奇妙な三角関係ができあがる。 やがて小林も泰子から離れていきますが 詩人の心には癒えることのない傷が残ったのでした。

その昔中也と小林が連れ立って眺めたという海棠の木は 今はもうありません。 ノウゼンカズラがかわいい花を咲かせていました。

お次は中也が死ぬまでの約8ヶ月を過ごした寿福寺へ。 平日の朝、曇り、境内に人影少なく、静かな緑。

中也がここへやって来た時、彼をさいなんでいたのは 長男、文也を失ったという計り知れない喪失感でした。 彼の心に、静かな境内はどう映っていたでしょう。

鎌倉一と称される、寿福寺の美しい石畳の道です。 横にいた妹は「『一つのメルヘン』の小川みたいだねぇ」とコメント。
秋の日は、はるかの彼方に、 小石ばかりの、河原があって、 それに陽は、さらさらと さらさらと射してゐるのでありました。
小雨が降ったらもっと雰囲気が出そう。 この詩の後半には蝶々が出てきますが、 偶然にも、境内にはジャコウアゲハがたくさん飛んでいました。
残念ながら境内には入ることができず・・・

さて、寿福寺は高浜虚子のお墓があることでも知られるお寺です。 こんなものが設置されていました。

じゃじゃ~ん俳句ポスト! 鎌倉市内のあちこちに設置されていて、誰でも投函できます。

こりゃなんか一発ひねるか、というわけで妹とふたり ない歌心をしぼって捻出した一句。
緑陰に たたずみ想う 中也の影
・・・うーん我ながらお粗末でごめんなさい。 以上、中也ゆかりのお寺二つを訪ねた小さな旅@鎌倉でした。

(by 早坂)
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